石崎公曹の奄美のことわざ
「て」から始まる言葉
ひとつカラスの歌えば、死人ぬ あん
ティーツィ ガラスヌ ウタウィバ、シニンヌ アン
tϊːcϊ garasunu ʔutawϊba,siniNnu ʔaN
ひとつカラスが歌えば、死人がある。
てぃーつぃ 年上妻や 昼灯 たてたんてん 尋めららん
ティーツィ スィザトゥジヤ ヒルマツィ タティタンティン トゥムィララン
tϊːcϊ? sϊzatuzija hiruʔmacϊ tatetaNtϊN tumϊraraN
姉さん女房は、昼行灯つけて探しても見つかるものではない
姉さん女房は稀少価値である。本土の「へら増しは果報待ち」に類する。家計のくりまわしがうまく、夫をいとおしむので、稀少価値といわれている。本土でもひとつ年上を「一へら」とし「一本べら金のわらじはいて探せ」がある。
敵や 立てれ
ティキヤ タテルィ
teʔkija taterϊ
敵は敵としてひき立ててやれ
敵だからといって、ただ憎悪の対象とするのではなく、敵のよさをも認めて面目をたててやれ。
敵や 味方
ティキヤ ミカタ
tϊʔkija mikata
敵対する者を味方にひき入れよ
敵を始終敵と見て憎むのではなく、敵のよさをも認め、むしろ味方にひき入れたほうがよい。
太陽と 月や 生きむんぬ 親
ティダトゥ ツィキヤ イキムンヌ ウヤ
tϊdatu cϊʔkija ʔiʔkimuNnu ʔuja
太陽と月は生物の親である
太陽と月があってこそ、生物は生きていける。生物の成長は太陽と月のおかげである。
太陽ぬ 入らん 家ちや 医者ぬ 入りゅん
ティダヌ イラン ヤーチヤ イシャヌ イリュン
tϊdanu ʔiraN ‘jaːcija ʔisjanu ʔirjuN
太陽のあたらぬ家には、医者が出入りするようになる
太陽光線の入らぬ家は健康上悪いので、病人ができて、医者がくるようになるのだ。
手拭 絞らし 嫁 貰え
ティノグェ シブラシ ユムィ ムラウィ
tϊnogё siburasi ‘jumϊ murawϊ
てぬぐいをしぼらせてみてから嫁を貰え
てぬぐいをしぼらせてみれば、一事が万事で女としての修行がよくわかるものである。
手足ぬ いやっしゃん 人や 猫んくま あっさまっしゃ
ティハギヌ イャッシャン チュヤ マヤンクマ アッサマッシャ
tϊhaginu ʔijaqsjaN ʔcjuja majaNkuma ʔaqsamaqsja
和訳
手や足が下品で、きたない人は、犬猫同然。 ※ イャッシャン[qqjaqsjaN] は、「よごれた」に加えて「下品な、ぶざまな形」の意が加わっている。
台風なん 南瓜盗人や つきもの
ティホナン トツィブルヌスィドヤ ツィキムン
tϊhonaN tocϊburu-nusϊdoja cϊʔkimuN
台風とかぼちゃ泥棒はつきもの
台風にまぎれて、かぼちゃ盗人がいるのはよくあることだ。
台風ぬ 翌日や 舟 出じゃし
ティホヌ ナーシャヤ フヌィ イジャスィ
tϊhonu naːsjaja hunϊ ʔizjasϊ
台風一過の翌日は、舟を出せ
海は静かになって、かえって航海には安全である。
ティンガマ クェーンナ ムィンガマ クェーリ
tϊNgama kёːNna mϊNgama kёːri
和訳
解説
悋気 しゅん 人や 粟ぬ 草 かがらせ
ディンキ シュンチュヤ オヌ クサ カガラスィ
diNʔki sjuN ʔcjuja ʔonu ʔkusa kagarasϊ
悋気する者には粟の間引きをさせるがよい
粟の間引きは、とればとるほどよいから、しっと心にまかせてこれでもか、これでもかと間引いたほうがよい。
天とち 唾ぬ けられんにゃ
ティントチ チジヌ クェラレンニャ
tϊNtoci cёzenu kёrareNnja
天(ティント[tϊNto](天道))に向かって唾がかけられるものか
尊敬すべきものを汚すことはできない。人間として、とてもできない行為であるの意から転じて、自分の力では到底及ばないことをする馬鹿のたとえ。本土「空向いて唾吐く」「天に唾す」に類する。
ティンニヤ クチヤネンバ チュンニ ユティ ヤーシュン
tϊNnija kucijaneNba ʔcjuNni ‘jutϊ ‘jaːsjuN
天に口なく 人をして言わしむ
解説
デングィヌ グトゥ カド タティリバ ヨンジュ―ハチカド ニングィンヤ アン
deNgϊnu gutu kado tatϊriba ‘joNzjuːhacikado niNgϊNja aN
和訳
解説
デングィヌハナサクィバ ナガシヤ オワリュン
deNgϊnuhanasakϊba nagasija ʔowarjuN
和訳
解説