石崎公曹の奄美のことわざ

「つ」から始まる言葉

突っかかる 蜂ど 刺しゅる

ツィカカリュン ハチドゥ サシュル

cϊʔkakarjuN hacidu sasjuru

つっかかるから蜂も刺すのだ

こちらからつっかからなければ、蜂だって刺しはしないのだ。余計なことをいって相手を挑発するから、相手の反撃を受けるのだ。  本土の「あたらぬ蜂はささぬ」「さわらぬ神にたたりなし」に類する。


ツィキニシ メードゥリ ウードゥリ ワカサンバ イカン

cϊʔkinisi me:duri ʔu:duri wakasaNba ʔiʔkaN

和訳

解説


一日ぬ 短さや 十月ぬ 中ぬ 十日

ツィキヌ イッキャサヤ ジューグヮツィヌ ナカヌ トゥーカ

cϊʔkinu ʔiqkjasaja zju:gwacϊnu nakanu tu:ka

一日の昼の短いのは、旧十月の中旬の十日間である

上句は「ひと日の短さは チュヒヌ イッキャサヤ ʔcjuhinu ʔiqʔkjasaja」ともいう。※「十月ぬ 昼間なし。ジューグヮツィヌ ヒンマ ナシ。zju:gwacϊnu hiNma nasi」ともいう。


月昼間 潮干やり

ツィキヒンマ シューヒャーリ

cϊʔki-hiNma sju:-hja:ri

昼間月、潮干あがり

昼の月が出ているころは、潮がよく干る。真昼時、中天に月が見えるときは大干潮となる。


ツィキヤ ハレマ、 ウキヨヤ クルマ

cϊʔkija harema, ʔuʔkijoja ʔkuruma

和訳

解説


(粟) 作るよりや(作りゅんくま) 昼寝 しり

ツィクルユリヤ(ツィクリュンクマ) ヒンネ スィルィ

cϊkurujurija(cϊkurjuNkuma) hiNne sϊrϊ

粟を作ろうと思うくらいなら、昼寝でもしろ

粟を作るくらいなら昼寝をしたほうがましだ。※なぜ粟作が嫌われるのか不明。古くは琉球王朝服属時代五穀のひとつとして霊力をもつとされていた粟は、近代になってから嫌われたのであろうか。食糧としての米の優位を説くためであろうか。


つちきゅん 子ど 愛しゃん

ツィチキュン クヮードゥ カナシャン

cϊciʔkjuN ʔkwa:du kanasjaN

自分について来る子がかわいい

自分になついてくる子は、なんといってもかわいい。本土の「尾を振る犬は打たれぬ」に類する。


ツィッチン クサジン カマランヤ ヤッシャンコ

cϊqciN ʔkusaziN ʔkamaraNja jasjaNko

和訳

解説


ツィナッキリトゥ ウナグヌ クヮーヌ アマリヤ ネン

cϊnaqʔkirϊtu ʔunagunu ʔkwa:nu ʔamarija neN

和訳

解説


爪食いガニ

ツィムィクイガン

cϊmϊʔkuigaN

自分の爪を噛んでいるように見えるカニ

泡をふいたカニが自分の爪をかんでいるようにじいっとしているさまを、すねている子にたとえていう。いつまでも、ひとりで爪をかんでいるカニのような様子ですねている子のたとえ。


面 見し 人ぬ 心や わからん

ツィラ ニシ チューヌ コロヤ ワカラン

cϊra nisi ʔcjuːnu koroja ‘wakaraN

顔を見ただけでは、人の心がわかるものではない

顔だけで人の性格を判断することはできない。容貌のよしあしで人の心を判断してはならない。人は顔ではない。


面し つきょうな 心し つきょうぃ

ツィラシ ツキョウナ コロシ ツィキョーウィ

cϊrasi cϊkjouna.korosi cϊʔkjoːwϊ

顔でつき合うな。心でつき合え

愛想よい笑顔を作るだけの交際ではなく、真情あふるる、心からの交際が大切である。


面高さ 持てば 人んじ 憎まりゅり

ツィラダカサ ムティバ チュンジ ニクマリュリ

cϊradakasa mutϊba ʔcjuNzi niʔkumarjuri

高慢な顔つきでいると、人に嫌われてしまう

いつも尊大ぶっていると世間の人に憎まれるようになるのだ。

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