琉球語の美しさ
くニーブヌシードゥ〈みかん盗人〉
朝比奈時子さんから、くニーブヌシードゥ〈みかん盗人〉ではよく意味が通じないから、もっと説明を加えてほしいとの話があった。われわれには別に説明を加えなくてもすぐわかることばである。蜜柑がうれてくると、こっそり木に登って盗みとる。子供ばかりではない。八月の村芝居の頃になると、部落中の者が、芝居に行き、どの家にも人は居残らない。そのすきに、蜜柑を盗みに来る。私の家には、大きな蜜柑の樹が四、五本あった。石垣にそうて並んでいて、うれる頃には、とげのあるサーラちー〈植物名〉でまいてあった。ある村芝居の夜、母は一人家に残っていた。くニーブヌシードゥがこっそり石垣にあがって、くニーブをぬすんでいる。母はしのび足で、近よりその両足を石垣の下からとっつかまえた。くニーブヌシードゥは身の毛がよだち、もんどりうって外側へころがった。母は大怪我をしたのではないかと、盗人よりもかえっておどろいたという。あれ以来、盗人が来て蜜柑をとっても、とっつかまえることはしなかったといっていた。
草刈りが、怠けて草もかりずに、他人の畑からハンヂャ〈いもかずら〉を盗んで、もっこに草代りに入れて帰った。ハンヂャヌシードゥという。
青年がモーあシビをして、野良から部屋に帰って来る頃はもうおなかぺこぺこになっていた。その家の様子を知っている奉公人が案内して、棚にのせてある翌朝の朝飯用の煮芋をこっそり盗んで来て、辻で食いちらかし、ざるはそのままにほったらかした。ユフイヌシードゥ〈夕食ぬすみ〉という。その家は翌日は朝飯ぬきである。そんなこそどろがどこでも行われていた。ハンヂャヌシードゥは見つかると、プダー〈罰札〉を渡されたが、くニーブヌシードゥやユフイヌシードゥなどは、それほどとがめはしなかった。ものの少ない部落では、以前からこそどろがかなりいたようである。
他人の蜜柑を失敬することのない本土の方々からはくニーブヌシードゥなど、ちょっと頭をかしげるのかもしれない。そんなことばの中にも、部落の生活が反映している。