琉球語の美しさ

ピリ〈縁〉

ふち、はしの意で、畳や莛などのへりのことをいう。父は莛の縁をむしるくせがあると、叔父の樽一さんが言っていた。かつて波照間に方言採集に行ったとき、大暴風雨にあった。島はじまって以来の最大の台風で、どの民家も破壊された。われわれは、貝敷という民家に民宿していた。幸い、瓦葺きの頑丈な建物だったので、戸を締めて細いすき間から外の様子をうかがっていると、大きな福木の枝がへし折られて、目の前に飛んで来た。台風が過ぎた。島の石垣は高く屋根は低い。台風から身をすくめているようだった。ところが今度の台風では、どの家も破壊されて、高倉はほとんど倒壊した。島にはユイ制度が発達している。どの家も協同して作業するので、島中の家屋がすべて復旧するまでは、誰一人暇はない。われわれの方言調査も全くお手あげであった。民宿の貝敷さんが、作業にも出られない、胃を病んでいる七十才もこした伊佐佐事という老人をインホーマントに頼んでくれた。勘のよい理想的な方であった。いろいろと波照間方言を教えて下さって、別れに「もう私の余命はいくばくもない、再びあえる機会がまわってくるとはとても思えない」と、さむしろのへりをむしりながら別れを惜しんで下さった。むしろのへりをむしるくせのある父の姿も浮んだ。
それから二、三年たって八重山の石垣に行ったとき、再び台風にあった。吹きすさぶ嵐の音をききながら、伊佐翁のことが浮んだ。
そのとき、詠んだ長歌がノートに記されている。
伊佐翁を憶ふ
みんなみの波照間の島に
すさびたる嵐も去りて
はがれたる屋根の瓦に
雲間もる光も照りぬ
木々の枝たれさがりゐて
石垣にかこまれし伏屋に
ただ一人翁の住めり
滅び行くことばをたずね
ひねもすに向ひ会ひたり
さむしろのへりむしりつつ
胃を病める老人(おいびと)の言へる
いやはての島にはあれど
えにしあらばまたも訪ひ来と
ねむごろに別れを惜みし
今もなほすこやかにいますと
人づてにききてしをれば
吹きすさぶ嵐の夜半に
波照間の島思ひつつ
寝(い)ねがてにする
反 歌
命あらばまたもあはむとさむしろの
へりむしりつつ胃を病めるおきな
ピリという方言にも、父や波照間の胃を病める翁にもつながる思い出がふかぶかとこもっている。
▶原稿に(一九八一・一一・一五)の記述あり

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