琉球語の美しさ

ワラービナー〈童名〉

与那嶺に、ワラービナーはつぎのようなのがある。
男だけにつくもの
タラー、ヂラー、グラー、サンラー、まンくー、カマー
女だけにつくもの
マシ、うたー、グヂ、マハー、ちルー、うンダル
男女いずれにもつくもの
マち、ハマーダ、うシ、ハナー、ナビ、カマーデー、ンた
ワラービナーはそれほど数多くないので、ヤーニンジュ〈家族奉公人を含む〉には、同じ名のものが多かった。私の家にハナーが六名もいた。母がハナーで、叔母がハナー、奉公人にムとゥーブヤーのハナーウンちュ〈ハナ小父さん〉がおり、子守りにハナーがいて、妹がハナーであった。いずれもハナーであったが、家庭内で、誤り呼ばれたりして、困るとか不便を感じることはなかった。
小学校にあがるまでは、ほとんどワラービナーで呼びあっていたのである。
親戚にヒちャングンちのぱーぱー〈おばあさん〉がおられた。私のぱーぱー〈祖母〉の妹にあたっていた。家は平敷にあった。そのそばに平敷の拝所があり、木がうっそうと繁っていたところからすると、ヒちャングンちはヒちャントゥンち〈下の殿内〉であったのではなかろうか。もしそうだとすると、そばのお嶽を司る家であったにちがいない。このぱーぱーには、ひどく人をひきつける魅力があるように感じられた。温情にあふれ、心から親しめるぱーぱーであった。ときどき訪ねて来られると、私の頭をなでながら、「ヤー くヮーガニ」といっていた。ヤーは「ね」とも訳せないし、「ああ」とも訳すことの出来ない、親しみよびかける感動詞である。くヮーガニのガニは敬称美称辞であり、むしろ親愛美称辞とつけた方がよい。この語は、このおばあさんの愛情をつつみこんで発せられて、私の心にくいこみ、そまった。そうしてハマーランくヮーとも私を呼びつづけられた。ハマーラという自分の名を口にすると、すぐ、慈愛にあふれたこのおばあさんが浮び。ハマーラという語とはきりはなすことの出来ないように結びついてはなれない。
ハマーラには、またおさな友達の一人一人の声がふくまれており、それにつれての顔が浮んで来る。小学校に出ない前に遊んだいろいろの情景がつきまとうてくる。ハマーラという童名を持つか持たないかによってどれほど大きな差が生じて来るのであろうか。
ワラービナーは限りなくなつかしい。ハワイ大学に付設されてある東西文化センターに客員教授として招聘されて、約一年半、極めて快適な日々を送ったことがあった。
阪巻駿三博士が、食事をしながら、誰から聞いておぼえていたのか、私をハマーラと呼んでいた。全く思いがけないところで、自分のワラビナーを呼ばれて、少年の頃の思い出もまといつきながら、なつかしさがこみあげて来た。ヒちャングンちのあのぱーぱーのお顔までが、ありありと浮んだ。ことばが命とつながりながら声に出て来るのを感じさせられた。
▶原稿に(一九八一・一〇・二九)の記述あり

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