琉球語の美しさ
マちゲー<ごめんなさい>
ハワイの東西文化センターに一年半ほど行っていて、その間、米人と多く接しながら、ハワイ生活をたのしんだ。ちょっとすれちがうときでも、気軽にエクスキューズミーが出来る。この語はかろやかに春風が吹き去るようにこころよい。中国ではその反対でなかなか「有難う」とも「すみません」とも「失礼します」ともいわないらしい。
沖縄ではニヘードー<有難う>は使うけれども、そう気軽にひんぱんには口にしない。日常会話にはあまり出ない。車中で席をゆずってもらっても、にっこりと眼には感謝の気持をたたえていてもニヘードーとはいわずに、黙って座る老人が多い。
車内で相手の足をふみつけても、すみませんなどと気軽に口には出さない。「ありがとう」「すみません」は日常会話にはなかなか出にくい。
われわれの小学校時代には「ありがとう」とか「すみません」ということばを口にした経験はない。「すみません」の代りにつかわれたのは「あやまち」であった。間違って隣席の友達の硯の墨をこぼしたりすると、大きな声で「あヤーマちー」とさけんであやまった。これは方言のマちゲーの直訳である。こちらに過失があったとき、おちどがあったときに、恐縮して「マちゲー」と言ってあやまっている。相手にすこし迷惑をかけたときなどに「すみません」に当たる方言はないのである。人間関係の潤滑油のような重宝なことばがかけているので、ぶっきらぼうにきこえる。
小学校のときにいつも使っていた「あやまち」ということばが、「すみません」ということばのそばに異様な顔付きをしていつも不調和にきわだって立っている。