琉球語の美しさ
ハギンヤ<日よけの小屋>
人が死ぬと、死人にかけよって泣きさけぶそれをくヱーという。パーパンか<葬具の一つ>を先頭にして、そのつぎに四人でかつぐ棺を入れたガンドーグがつづく。その後に黒いハーブイガサー<こうもり傘のてっぺんを白い紙でまきつけてある>をさしてシルいーペー<白い位牌>をのせた木の台をささげもった肉親がすすむ。その後に他人の肩にもたれ泣きさけぶ男女がつづいて行く。やがて部落はずれのマハイワイあヂマー<地名>に行くと、葬列は停止して、皆が道にしゃがむ。位牌は部落にむけられて、全員向きをかえて、部落への最後の別れをする。それをところによってはシマーミー<島見>という。やがて葬列はフちーガニーく<地名>の墓地へと進んで行く。死の世界への野辺送りである。
大正の初期までは、大きな墓は、そう多くはなかった。亀甲型の墓はボーヂシンヂュという。ああ、あの墓は立派だ、などと指さすと、その指先は切れると子供はおそれをなし、口にしたとたん、指先をくわえて七度もぐるぐるとまわって、タブーからのがれた。ほとんどが岩にほりこんだ穴の入口を小石でふさいだお墓であった。棺がお墓におさめられると、龕道具は解体されて、ガンヤに納められた。新しく漆喰で白くぬりかためられた墓面を蔽うために日よけの小屋が墓によりかけてつくられた。それをハギンヤという。かんかんと照りつける直射日光が死人の顔に照りつけているように感じられたからであった。そのハギンヤのかげに、白位牌が台の上に立てられ、そのわきに白紙でつくった粗朴な蓮華がかざられて、これも白紙でつくった死者の傘が、白紙でぐるぐるまいた青竹の杖の先につきさされてたてかけてあった。その下にこれも鼻緒を白紙でぐるぐるまいた阿檀葉草履が並べて供えられた。そまつに建てかけられたハギンヤを見ていると、悲しみがおのずとわいた。古代の姿がより近く感じられたからである。
▶原稿に(一九八一・一〇・四)の記述あり