琉球語の美しさ
シガーセン、シガーリヂルー、シガーリン
シガーセンという語を稀に老人から聞いたが、どういう意味かはっきりしない。液がうすいような意味かと、辞典に書いた。あちらこちら、同郷の者に問い合わせたが、はっきりした返事はえられなかった。その中に仲里源盛君からこんなことを知らせて来た。嘔吐を催して、吐けるだけのものを吐き、最後に黄色い液が胃から出て来る。その液をシガーリヂルーといっていたというのである。ひどく船酔いをして、お腹の中にあるものはすべて吐きつくすと、最後に黄色い胃液みたようなのが出る。それがシガーリヂルーというようである。
弟勇助が郷里に帰るというので、シガーセンの語義を聞いてくるように頼んでおいた。弟が母と話していると、シガーセンの語義を尋ねない中に、母の口からシガーリてィという語が偶然出た。
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家に長くつかえた小柄な奉公人がいた。極めて正直で、忠実に働き、祖父や父からも信頼されていた。だまりやで、ほとんど私たちとも口をきいたこともない方であった。祖父や父がなくなったあとも、よく霊前に手を合わせに来た。そうして、ずっとちょっとした仕事があると、手伝ってくれた。家は部落の一番南西のはしっこにあって、鳥島産の火山石でつくった石臼が縁先にころがっていて、いかにもまずしそうな貧相なおじいさんであり、影のうすい百姓である。昨年、八十八才の米寿のお祝いをされた。母の口から出たのは「あヌ ちュン スラーく シガーリてィ」<あの人も すっかり スガレテ>ということばであった。米寿を迎える頃まではお元気だったのだが、すっかりこしもかがみ老いおとろえて、よぼよぼしているというのである。シガーリンという語を、私ははじめて聞き知った。この老人もこのように、影うすくなっている。間もなく世を去られるのであろう。その姿を見た八十七才の母の口から、たまたまシガーリティということばが出て、これが辞書に書きとめられる。
秋も近づき、死にたえようとするトンボが野のくさむらの中の枯草に、羽をたれているのを見ているような、滅び行くもののさまを見せつけられるような気がした。しかし、この語にも、私の生命がきらっと光りかがやいている。言語というものは、枯草の葉にとまっているとんぼとはちがう。それは、自らの生命とともに、草葉のかげにうずもれて死滅してしまう。しかし、ことばは人間の生命とのつながりを持つ。シガーリンという語が、何百年か後に、ある読者に読まれるとすると、そこで生命の火が再びもえる。そうしてこの語は生命をもちこたえて行く。そんなものをことばは持ちつづけているのである。正直な、かもくのあの小柄な老人は、シガーリンということばの中にいつまでもほそぼそと生きつづけていくような気もする。影うすくとも、一日でも長く長命してほしいと祈る。
▶原稿に(一九八一・八・一〇)の記述あり
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『岩波国語辞典』に〔すがれる。末枯れる。草木の葉さきや梢が冬に近づいて、枯れ始める。転じて、人の盛りが過ぎて衰える。〕とある
私は多くの辞典をひいて、自分の不明をはじた。国語としては、よく知られていることばなのである。しかし、これまで、郷里の人々の誰の口からも、シガーリンということばを聞いたことはなく、たまたま母の口からもれたシガーリてィという語を、弟から間接に聞いたのである。かく近くにあって、この語は、ひっそりと消滅しつつあった。
私は前に、上里堅蒲先生のつぎのような歌を、耳にしていた。
帰り住む仮屋の窓にくっきりと山の尾根遠く素((ママ))枯松並ぶ
あの素枯松の並ぶ山の尾根は、戦争中、南風原陸軍病院の向うに見えていた。重症患者のうめいている病院壕の入口から、私は毎日変りはてて行くあの山の尾根を眺めていた。爆撃がすんで敵機が去り、やがて静かな夕暮れになると、山の傾斜面にあった民家はあかあかと野火のように燃えるにまかせて、燃えつづけていた。あの時焼けただれた枯松が残っていたのである。上里先生を悲しませた末枯松の「すがれ」が、シガーリンであることをはじめて知って、上里先生のお顔が浮かんだ。ことばは生命のきらめきである。末枯松のように、ただ人間をはなれて立っているのではない。人間の生命とつながって残照をひいているのである。シガーリンという語は再び、郷里の人々に用いられることはなく、日の没するように沈み消えて行くのであろう。方言はかくほろびて行く。この語は、あるいは、国語には、まだ生命を持ちつづけて行くかもしれない。しかし方言としては消滅寸前にある。西海に沈して行く太陽の残照のように、私の心眼にはうつっている。
青々とした森の中に、老い衰えてやがて白骨のような幹枝ばかりがとがっている松の残骸を見ているような寂寥感を、シガーリンという語はさそっている。