琉球語の美しさ
プー<矛>
茅の屋根を葺くときは、親類縁者が加勢に来て、共同して作業をした。その中には大方屋根を葺き馴れた者がいた。専門家がいたわけではなく、自分の家は自分で葺いていたので、おのおのが、茅葺の技術を身につけていたのである。
子供の頃、よくそばで茅葺の作業を見た。数人が、屋根組みの上に登って、下の方から茅束を棒の先につけて上にのぼせる。それを屋根の軒にぐるりに並べて、ぐるぐると周囲にめぐらしていく。蒲葵笠をかぶった人夫が屋根の下にも立っていた。上の方から茅の中にプーをさしこんで下へとつき通すのである。プーは、木で作られたものもあり、竹で作られたものもあった。六、七尺はあったかもしれない。槍のように先をといで、縄を貫く穴をあけてある。上からプーをつきさすと、下の方で、その穴に縄をさしこむ。その縄ともひきあげる。またプーをさし通しさし通し、縄をつけてもらって、引きあげるのである。その作業は力がこもり、ちょっと誤ると、相手をつきさす。危険で、かなりの技術が必要であった。上と下と呼吸をあわせながら、上下をゆわいつけ踏みかため、先へ先へとすすめて行く。その力のこもった作業を見ていると、たのしくてたまらなかった。子供らは屋根葺きの周囲にほこりをかぶりながらいっぱい集まった。
プーが武器の矛と同一語であることは、疑いの余地がない。しかし、武器の矛が先にあって、屋根を葺くプーに転化したのであろうか。どうも屋根を葺くのに用いているプーの方が先で、それから武器の矛になったような気もする。鵜鷲草葺不合尊が、屋根を葺いた時も、ホコを用いたのではあるまいか。もっと日常生活にホコが用いられていて、それから武器の矛になったのかもしれない。釣り竿のことを、ちんブくともちンブフともいう。釣矛である。それから思うと武器の矛よりもプーが先の生活用語であったような気がする。北山城跡に、根の方の節が密な竹が繁茂している。城跡に生えているので、グシくダきー<城竹>ともいうが、ちンブフダき<釣矛竹>ともいう。ちンブフダきで作ったちンブフ<釣竿>を肩にして、海に行くうミンちュー<海人・猟師>の姿が、古代人の姿をしのばせる。上代人は武器の矛を持つ以前から、日常生活に用いるホコを肩にして歩いていたのではなかろうか。琉球方言では、武器の矛へはならずに、上代の意味のまま使っているのではなかろうか。
▶原稿に(一九八一・七・二三)の記述あり