琉球語の美しさ
トーニハちャー<田舟掻き>
トーニは田舟で、もともとユビータ<深田>に浮べて、メーサニー<稲種>をのせて、稲植えに用いたものである。静岡の登呂の遺跡で、陳列した実物を見たことがあった。与那嶺のムイヤマー<杜山>(今は土地整理のためにこわされて香炉だけが置いてある)の東はユビータであった。あるいは上代はこのあたりで、トーニを用いたのか。琉球列島にはかなり広く残っている語だが、果して田植えにトーニが用いられたのかどうかは、はっきりしない。深田に稲種をのせて運んでいる田植えの情景は美しい。しかし、いつの頃か、その名称も、田とは縁のないものになってしまい、ついに豚小屋にはこびこまれてしまった。木に長方形の穴をほり、その中に豚の飼料をほうりこんだのがトーニである。豚小屋で二、三頭の豚が頭をつき合わせ、足をトーニに踏みいれて、ぱくぱく餌を貪っていた。これが田舟であるとは、子供のとき思いもよらなかった。豚が食いあらした後に、残った餌をかき出すのがトーニハちャー<田舟掻き>という。この語など、私が書きとめなければ、豚便所にうもれてくちてしまうにちがいない。永久にくちはてて行くトーニハちャーを口にしていると、父や母が、豚に餌をやってきた姿を思い出す。プル<豚便所>の上には大きな桑の木があり、実がぶらさがっていた。台風の季節がくると月桃の花が真白く咲いてもいた。家を訪ねるお客は、先ず豚小屋に立寄り、それから、玄関もない家の縁に腰かけ、まず豚をほめてから、用件にはいったのである。トーニもトーニハちャーも百姓の生活と深く結びついていたのである。滅びゆくもののさびしさがある。難破した船の梶が海底にくちて行くようにさえ感じられる。
▶原稿に(一九八一・七・二三)の記述あり