琉球語の美しさ
ソーヂムヤー<井守>
昭和六年の夏休み、私はものにとりつかれたようにして、国頭村字奥から嵩江新川まで、炎天下九里の山路を歩きつづけたことがあった。新川に近づいた頃は、もううすぐらくなっていた。道に大きな蛇がはっていた。ぞっとして退いたが勇気をおこして、棒でたたき殺した。のたうちまわるのを、おそるおそる見ると、それはパブー<毒蛇>ではなく、大きなあかマたー<青大将>だった。それから坂路を辿って行った。断崖のような傾斜面を削って、あちらこちらに小さい家がある。ここが新川なのであろう。「いかな山原ぬ嵩江新川ん 里と二人やれば花ぬ都」という歌でも知られている僻遠の地である。いかなるわけで一体こんな辺鄙な土地に住みつくことになったのであろう。そこを越して小路をたどった。もううすぐらくなっていた。暗い樹の下にささやかな泉があった。奥から安田、安波をへて歩きつづけ、咽頭はやけつくほどかわいていた。清冽な泉だ。手をひたすとつめたい。ぐいぐい飲んだ。こんな美しい清冽な泉もあるものだろうかと、じっと底をみつめると、真っ黒いグロテスクな井守がじっとしている。しばらくすると、真っ赤な腹をあらわした。ぞっとして身をひいた。清冽な清水にグロテスクな黒い井守だ。ところがその名はソージムヤーである。ソージは清水、ムヤーは守り手。何という不似合な名だろうか。
こんなグロテスクの井守が清水守りとは、一体何の功徳があってこんな美しい名を頂戴したのであろうか。
戦争中、南風原陸軍病院の壕の中に重症患者をおきざりにして、歩ける患者だけをひきつれて島尻南部摩文仁へ移動した。包帯をちぎって道しるべとして、砲弾の雨の中を患者の手をひいて、与座の泉のそばにさしかかった。こんこんと清水がわいていた。
与座川の清水にあびて我死なむ 望みたえたるいくさに追はれ
あのこんこんとあふれる清水をはらいっぱいのんで、じゃぶんと清水につかって死にたいと思った。その瞬間、嵩江新川のあの清冽な泉に泳いでいたグロテスクな井守がうかんだ。
▶原稿に(一九八一・七・二)の記述あり