琉球語の美しさ
チュラサンと美しい
からりと晴れた沖縄の空は「ウツクシイ」。月も星も海も、人々の瞳も黒髪も絣も紅型も。そうして心もウツクシイ。沖縄の美しさを沖縄人は昔からどんなことばで表現したのだろうか。一切がチュラサンである。ウツクシイとはいっていない。ウツクシイということばはもともと「愛しい」意味であって今日のようなbeautifulとはいわない。平安朝の昔、清少納言も「きよらし」といった。稚児の「はみたる」が、ウツクシイである。沖縄人ばかりが「きよらし」を昔のままに美しい意味でつかいつづけている。もし日航機に乗って紫式部と清少納言がつれ立って沖縄の上空をとび、あの黒潮の濃淡でふちどられている島を見たら「いとうつくし」などとは言わず「いときよらし」「イッペー チュラサン」と歓声をもらすにちがいない。それでは、国頭の山の谷水の澄みきったあの「清し」は何と言うかと問いかえされると、はたと返事に窮する。もし「清し」にあたる方言があったら教えてもらいたい。やはりチュラサンとしか言わない。さもなければ動詞にしてシドゥーン(澄んでいる)という。
『おもろさうし』二二の四六
こいしのが さしぶ とのばらよ しまでん くにでん みおやせ しらげ おゑて きよらげ おゑてから しまでん くにでん みおやせ
グレーの銀髪の美しさを上代人は敏感に感じとった。ここに「キヨラ」の語を惜しげもなく冠して初老の美しさをうたいあげている。銀髪というよりもキヨラゲといった方がもっと清潔で清新な美しさがあると思うがどうだろうか。上代人は決してそんなこまかい神経では感じとってはない。彼等の純な素朴な美感に訴えて、白髪をキヨラゲとよんでいるのである。
「キヨラ」という語幹を思う存分駆使している。永久に美しい首里城を「ながゑきよらぐすく」とも歌うし、黄金の穂波のなびく美しさを、「しらちやねのよりなびくきよらや」と詠歎している。陽の美しく照りかがやくことを「きよらや てりよわれ」ともいう。見事なる見ものに感歎しては「みもん きよらや」ともいう。語幹そのままで、まるで体がぶつかっているように、素朴でせまる力が強い。