琉球語の美しさ

ブラー プちュン<法螺貝をふく>

ブラー<法螺貝>は、近海でもとれたようであり、多く出廻っていた。ブラー プちュン<法螺貝をふく>は、大言する意には用いられず、法螺貝を吹く意にのみ用いられた。村芝居などにも吹き、棒術を演武するときには、とくに、演武の雰囲気を高めた。村芝居の途中、部落を警邏する青年たちのブラーの遠くからひびいて来る音は、いささかすごみをおびていた。
ニーセーヂュリーのニーセーは青年だが、ニーセーヂュリーは、青年たちよりも、やや経験を積んだ壮年に近い年輩の者の集まりであった。
ニーセーヂュリーの合図には、ブラーを吹いたが、おもおもしいひびきがあり、警邏の必要のある事件を予告するような感じであった。とくに夜がふけてからブラーのなるのは、無気味さを感じさせられた。ブラーに比べると、ソーグガニ<鉦鼓鐘>は、いかにも軽快にひびき、気軽にムラーヤー<字事務所>へ急ぐ人々の足どりまでが連想された。ソーグガニとちヂーミ<つづみ>は、ムラーヤーのペーシー<小使>が打った。ちヂーミを打つときは、必ず、スルーてィ もーレーイ、ヤマーとゥ もーレーイ<揃っていらっしゃい 大和いらっしゃい>とさけんで打った。そのペーシーの声は、部落中によく通り、のどかであった。ヤマーとゥは、童名のヤマーといっしょにともとれるが、ヤマーとゥグルーく<大和+すばやく>という熟語があるからおそらく、ヤマーとゥを早くという意味につかったのであろう。沖縄人は動作がのんびりしていてのろい。本土人は気が早くはやい。ヤマーとゥヂーペー<大和+気の早い者>という熟語もある。必ずしも怠惰の性ともいえず、自然環境や社会環境の中にいつの間にか育った性情であろう。長続きがする点では、むしろ長所ともいえる。
NHKの統計では、沖縄人は、日本一朝寝坊になっている。そうかもしれないが、それには統計のとり方に誤りがあると考えられる。日没時、日昇時を無視して、ただ時計の時間で統計をとった疑いがある。東京の日昇時と沖縄では非常にちがいがある。日に合わせて生活しているのであって、時計に合わせて生活しているのではない。まだ自然と密着した生活を沖縄人はつづけている。秒にいじめられている都会人の生活を照射するものが残っていることも忘れてはなるまい。

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