琉球語の美しさ

カラうかー<カラ御川>

北山城址を平郎門から新しくできた参道を登りつめるとうミャー(御庭か大庭か)に上る。その少し上の右側に北殿の礎が残っている。北殿に対して南に南殿があったといわれるが、礎石は残っていない。南殿があったと言われている場所の東南隅にカラうかーがある。女官達が髪を洗ったところと伝えられて、香炉が置かれて、北殿の跡と同日に祭事が行われる。
北山城は、懸崖絶壁の上に築かれた堅固な城ではあったが、水には極めて不自由であった。東城壁の断崖絶壁の下に志慶間川の清流が流れていて、その水を汲みあげて用いていたのである。その汲みあげは容易なことではなかったであろう。このカラうかーこそ天与のため水の出来る重宝なものであったにちがいない。名工が鑿で荒削りをしたような岩のくぼみである。岩の層がかさなり合って段々をなして、まだみがきをかけてないような舟底をなしている。髪を洗うに適したほどのくぼみである。もっとも天に近いところで、天から降って来る雨を溜めており、この岩のくぼみにおそらく上代人は神秘を感じ、女官たちは黒髪を洗い身を浄めたのであろう。城の北西の崖の下からこんこんとえーガー<親川>の水が湧いている。志慶間川の清流が城下の岩をくぐってここから湧き出て、親泊の田圃をうるおし、部落の用水になっている。そこにも固い岩にまるい形のいい壺が出来ていた。王妃や女官たちは、ここまで下りて、この岩の壺に黒髪を洗ったとつたえられる。この泉のところまで、入江であったことは明らかである。白波のよせる渚に、えーガーの水が流れたのである。この泉で黒髪をとかして洗っている王妃や女官たちの姿がうかぶ。われわれが幼少の頃までも、この壺に赤土をといて黒髪を洗っていた女たちの姿が見うけられた。えーガーから城へ登って行く旧道は今は草木におおわれて、跡形もない。この路を上り下りして髪を洗いに来た女官たちにとって、カラうかーがどれほど有難いものであったか想像出来る。雨期には、いつも岩のくぼみは水がいっぱいになっていたであろうが、雨がとだえた頃は、水はかわいてなくなり、岩のくぼみだけが日にほされていたのではあるまいか。カラうかーのカラは「からっぽ」の「から」ではあるまいか。
水に不自由していた時に、このわずかな岩のくぼみがどれほど有難いものであったか。
▶原稿に(一九八一・四・一七)の記述あり

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