琉球語の美しさ

ナダー<涙>、ナダ―グルー<涙つぶ>

涙を与那嶺方言ではナダー、ミーナダーという。「涙もろい」はナダーヨーセン、その反対のなかなか涙を流さないことは、ナダーヂューセンという。涙ぐむは、ナダーグルー マールン、ナダーグルグルー マールンという。ナダーグルーは涙がつぶらにまるくなったものをいう。「涙ぐむ」とナダーグルー マールンでは語感の上ではかなりのちがいがある。ナダーグルー マールンには、にじみ出た涙があふれてつぶらになり、まつげにやっとささえられて、やがておちそうな感じがある。ナダーグルグルーにはさらにそのつぶらがかさなりあっている感じをともない、涙があふれおちそうな感じをともなっていて、小学校で教科書から修得した「涙ぐむ」とはかなりのちがいがある。
ナダーグルー マールン、ナダーグルグルー マールンは、やはり私たちの幼少の時からの経験に深く根ざしている。
あム、あンマーと母とがちがっているように、ナダーグルー マールンと涙ぐむはちがっている。
母といえば、小学校の教科書にのっていたさしえの母のイメージしかうかばない。自分を抱き育てたあムのイメージとは全くちがっている。
私の父と母とは、あまり仲むつまじい方ではなかった。あるとき別れ話が持ちあがったことさえあった。小学校三年生のときだったとおぼえている。仏壇の前で母が手をついていたので、ただごとではないと、聞き耳を立てていた。そのとき「あンシバ、カフーシ、エービーシガ<そうだとすると果報でございますが>」母が涙をにじませながら言われたことばを私は聞いた。
カフーシということばに、母の心のすべてがこめられていた、カフーシがニヘーよりもはるかに深い感謝の意味をもっていることを子供ながらに直感した。(後年首里方言では、カフーシがニヘーよりも一段感謝の意のあさい語であることを知ったのだが)私は母のそのことばを聞きながら、部屋の片隅につまれた籾俵によりかかり、俵のわらをぬきとりながら涙ぐんでいた。ナダーグルグルー マーたンといわなければ、いいあらわせないのである。

© 2017 - 2024 シマジマのしまくとぅば
〒903-0213 沖縄県中頭郡西原町字千原1