琉球語の美しさ
ヤラヤー<そうだろう>
アメリカーター ムル ムヌ ワカラン<アメリカ人は皆ものをしらない>
終戦直後、東恩納で教科書の編修をしていた頃であった。近くに諮詢会事務所があって、諮詢会員だった大宜味朝計君が、編修所にやって来て、「政善君 イジ 方言サーイン 教科書ヌ 書カリーミ」ときいていた。米軍は、沖縄の教科書を方言で書かせる方針を持っていたようである。諮詢会の議題にかけられたかどうかはわからないが、大宜味君に米軍の方針を聞いて知っていた。
「君、哲学書の一頁、琉球方言で翻訳が出来るか」と言うと「ヤラヤー アメリカーター ムル ムヌ ワカラン」と言って、そそくさと帰って行った。
大宜味君は、標準語と方言をおりまぜて実に巧妙に話せた。
「ヤラヤー」ということばは、「そうだろう」と全く同じだとは言えない。厳密には訳が出来ず、「ヤラヤー」は、やはり「ヤラヤー」でしかない。「ヤラヤー」という方言を聞くと、今も磊落(らいらく)だった大宜味君の姿がまざまざと浮んで来る。どのことばにも、具体的に用いられたその場その場の場面と、話し相手か聞き手の人物が浮ぶものである。こうした具体的に用いられる言語の場面、人物のつみかさねによって言語は出来上がって行く。この具体的な経験をはなれては言語はないのであって、その具体的な経験がちがう以上、厳密にいうと、一人一人言語の意味はすこしずつちがっている。われわれはそれを聞きわけるように耳をとぎすまさなければならない。バスに乗っていて、ふと「ヤラヤー」ということばが頭に浮び、大宜味君の顔が浮んで、「ヤラヤー」という語がふくらみ、その内実がはりみちたように感じられた。
方言がそのような意味を持っているので、沖縄人に無限の愛着を持っている者には、限りなくなつかしい。単語一つ一つにも、自分が経験して来た、過去のいっさいの具体的な場と人物とそのとき話されたことの内容が、うらうちされていて、なつかしいのである。
それからすると、ことばで厳密に通じ合いをすることは、不可能であり、共通に持つわずかの部分しか通じ合ってはいないのである。ことばは、毎日毎日成長しつつまた消えて行く。それは人間の生命がいつもかわりつつあるからである。