琉球語の美しさ

タートゥイヤマー<鳥をとる仕掛け>

小学校四、五年の頃になると、カグー<鳥籠>をたくみに作れた。梢にカグーをかけて、ソーミナー<めじろ>を何羽も捕えた。飼い方は知らなかったので、芋と水ばかりをやっていたのでまもなく死んだ。死んだ小鳥はていちょうにお墓を造って葬った。今もあの小鳥の羽の感触を忘れることが出来ない。掌の中でぱたぱたもがいているのを握ぎりしめているのは、言いようのないこころよいものであったが、死んでしまって掌の中にぐったり首をたれている小鳥の眼を見ていると、悲しくてたまらなかった。
鴨は、大きな籠で捕った。家の石垣のそばに蜜柑の大木があって、若夏のころになると白い花が咲き、香気をはなつので、めじろや鶯がいっぱいたかり、鴨もまじってきた。枝にかけた鳥籠に、いつの間にか鳥がはいっているのを見ると、天下をとったようにうれしかった。
家のまわりにある木立をハくイという。その中を、ハくイヌミーというのだが、そこにはパブー<蛇>もはってくることがあったが、夏になるといい涼み場所になった。大きな木の枝の股のところにヤッか<やぐら>を造り、そこで昼寝もする。二、三名の友達がそろって、いつまでもふざけていた。幼い頃は地上だけが遊び場ではなく、木の上もたのしい遊び場になり、梢の先までもよじのぼり、枝から枝へと、まるでおさるさんのようにつたい、木の上でおにごっこをしてたのしんだ。小鳥たちも子供の間を飛びまわっていたのである。木かげの地べたを飛びまわっているタートゥイ<しろはらつぐみ>に似た鳥がいる。枯葉の朽ちているところをあさって、ミミンジャー<みみず>をついばんでいた。この鳥は、枝にかけた鳥籠では滅多にとれないので、タートゥイヤマーで捕える。タートゥイヤマーは、竹串を地べたに幾千本とまるく立ててつくる。一方に入口を小さくあけて、どこかの島の土人の小屋のように、土につったてた竹串をまるめて上の方で束ねて切りそろえる。その形は四(し)角錐(かくすい)になっていていかにも美しい。一方の竹を弓のように立ててまげ、その先を入口の仕かけに糸で結びつけるのである。小鳥が入口からはいろうとして、細い横串に足をかけたとたんに、つってある竹の弓の弾力で、入口はしまってしまう。まことに巧妙な仕かけである。鳥の習性を知りつくして出来上がっているのが、タートゥイヤマーである。子供らは巧妙にこの作り方をおぼえる。もうどこにも、このタートゥイヤマーは残っていなかろう。タートゥイももういなくなった。枯葉の下からみみずをほり出して、タートゥイヤマーにぶらさげてタートゥイのかかるのを待つたのしみは、少年の思い出の中でもとくに印象に残る。伝承された知恵であり、小鳥との深いつながりから生まれたものである。涼しい木かげで細竹を切り、割ってカグーを作りタートゥイヤマーを作ったあのたのしみは忘れかねる。自然そのものが身にしみている。

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