琉球語の美しさ
ムイ<杜>とうガン<御願>
ムイは上代の信仰に関係の深い語である。日本では杜はいつしか神のしずまりますところとなり、神聖視されてきた。ところが沖縄では上代の神道が今もなおいきいきと生き続けていながら、この杜ということばだけは、全く神とは関係のない語になってしまっている。国語の「もり」は必ず樹木を連想し、樹木のうっそうたるところがもりであるのに、沖縄では木がなく、はげて赤土がもりあがっていても、ムイである。もちろん樹木があってもかまわないのだが、樹木があることを必ずしも必要としない。それは他にうタきということばや、うガンということばがあって、その方が神との関係を深く結びつけているからである。日本では「うたき、うがん」がそれほどまでに神と結びつかなかった。こうして「もり」だけでは、せおいきれない神聖、恐れおおさの感じがみちあふれたからであろうし、杜というものではこめられない、特殊なことばを要求しているからであろう。いずれにしてもこれは琉球語においては重要な語彙である。
補注:伊良部では神を祭る木のある杜をムイという