琉球語の美しさ
唐旅
沖縄では、死ぬことを「唐旅(トウタビ)する」という。このことばは支那への航海が如何に危険であったかを物語っている。仲原善忠先生の「官生小史」という論文を読んで私は暗然とした。それにこう書いてある。「沖縄では三山時代(一三三四年~一四二九年)から王国時代(一四二九年~一八六八年)までの約四七六年の間に、二六回にわたり九七名の官生を明・清に送っている。ところがその中二〇名が死亡している。一人は死刑、八人は病死し、一一名が遭難溺死したと。一六八八年から一七六〇年までの七二年間には四回、一四名を送り出したがその半数七名が帰らない。」官生とは支那留学生のことである。最優秀のものが、えりにえられて派遣された筈であり、沖縄のホープであった。彼等は、この孤島に大陸のかがやかしい文化をもたらそうと万里の波濤を乗りこえていった。ところが青雲の志を遂げず、或いは海底の藻屑となり或いは唐土の土となった。この悲願を那覇の港で始めて聞いた時の近親の慟哭が思いやられる。時の国王を始め沖縄全島の人々もどんな大きなショックをうけたことであろう。
唐旅という一語は、これら歴史の中に身をしずめた人々の悲しい小史であり、十字架である。アメリカ留学生はどういう言葉を歴史に残すだろうか。
『南島論攷』二九六(東恩納寛惇著)
死ぬ事を唐に行くと云ふ事
昔の支那旅は海波の険の外に海賊の難もあって全く生還を期しがたいものがあった。それ故に、琉球では「唐に行った」と云う事を「死んだ」という隠語に、いつの頃からか用いられている。宋の朱或の著、萍洲可談巻二に、北人過海外 是歳不還者 謂之往蕃。諸蕃人至廣州、是歳不還者 同為往唐 とあるによって見ると、中国でも古くからこういう用例はあったと見える。