琉球語の美しさ

カナシ<いとしい>

私の母は「ハナ」という名であった。「花」という名ではなく、今帰仁方言は「カ」が「ハ」に変化するから「カナ」である。「カナーヨー」という最もポピュラーな民謡がある。このことばほど琉球方言で美しい愛情を盛ったことばはない。琉球の島々に住んだ人々が愛情をかわすにどれほど役立ったか、今では「カナ」という名前を聞いても田舎のおばあさんの姿しか浮かばないであろうが。この語の歴史をしらべると、どんなに沖縄人の、人間的な美しさが盛られていたかがしれる。もう使い古した櫛(くし)みたように、はがかけているのがわかるのである。「カナーヨ―」を聞いていると庶民的な哀感を伴うたのしみが感じられる。

「かなし」というと、国語では悲哀の意味につかっている。親がなくなって悲しい。子を失って悲しいという意味につかっている。竹取物語を読んでみると、「独子にさへありければいとかなしうし給ひけり」とある。一人子であったので大変かわいがったという意味である。この「かなし」の意味が沖縄方言では現に生きて用いられている。ィヤーヤ カナサン<貴方はいとしい>という意味にもつかわれる。しかし、これは子供を愛する、可愛いものを愛するという意味があるが、愛するということばにあたるかというと、厳密に愛する意味にはならない。福岡高等学校に入学した際、私が琉球から来たというので、同級生が非常に興味を持って私からいろいろ琉球の方言を聞いていた。「貴方を愛します」ということを沖縄の方言では何というかと尋ねられて返答に窮したことがある。さてどう返答したらいいものか、どうも適訳がない。それで沖縄人は口で表現出来るようなあさはかな恋愛はしませんと、迷答したことがあった。「貴方を愛します」ということば自体翻訳語であって、本来の日本語にはない。せいぜい「貴方が好きだ」という。本来の日本人の表現はひかえめであった。思っていることをそのまま露骨に表現するのではなく、婉曲にぼやかして表現するのだ。それが日本の芸術にもあらわれていて、まず感情をおさえて生の感情を濾化し、清めてから出しているのである。沖縄人は本土の人よりも、もっとひかえめで、いくら深く愛していても、「私は貴方を愛します」というような映画の看板みたような表現はしない。ゆかしくぼかしてィヤーヤ カナサッサーていどにしか表現はしない。カナサンなどが愛するということばにあたるものではない。そこには国民的な差がある。このことばは沖縄人の精神生活を支えてきたものであり、カナサンのカナシは最高の尊敬の意味をあらわす。

天はティント―即ち天道という。空のことをスラとはいわず、天道というが、天とか天道に対して、かなしをつかい、ティンガナシ ティントーガナシといっている。神仏に対し最高の敬意を示すことばが即ちカナシである。日本においても天子はヒツギノミコという。ヒツギはsun(太陽)なのかfire(火)なのか、議論はあると思うが、ヒヲツイでいる尊い方である。沖縄でも全く同じ発想であり、天子のことは「てだがすゑ」と称している。ティダガシーである。それでティダガナシーとかティダガシーガナシという。お月様でもト―トーメーガナシといい、親を敬う時もウヤガナシといい、カナシは最上の敬愛をあらわす。しかし、後世はこの「かな」はみすぼらしい百姓娘の名前にもなっている。決して天子様だけについたのでもない。野に立ってみすぼらしい姿で立ち働いている百姓の娘の名もカナーであり、彼女は、太陽や月につくカナシと同じカナーという名がついていて、いとしくも呼ばれるのだが、もう聞く人々には天地のへだたりを感じさせられた。しかし、天子のカナシと百姓娘のカナシのその愛情に何の変りもない。琉球の歌にカナヨーという歌があるが、まことに愛情のこまやかな余韻嫋々たる歌であり、本土がもりこむことの出来なかった、愛情の表現をこのことばで表している。このことばは南島の島々で、南島の島々の愛の生活を支えて、今なおいきいきとつかわれている。カナシということばを我々が保存しているから、一体どこがいやしいのだろうと私はいいたい。古語がいまなお息づいている。このことばを通じて、島人のもっていた愛情をしみじみとあじわうことができる。「うもらぬ加那待たんよりも二十三夜のお月様待ちやがまさり」これは琉歌だが、この歌などは、沖縄の文化を包んでいるのではないだろうか。この歌はこの歌として成立している。決して翻訳など出来るものではない。翻訳をすれば、もうもとの味は失われてしまう。そのことばでなければ表現できないものをもっている。そうすると、そのことばでなければ表現しえないものを豊かに含んでいることになる。その島の人々の生活をもっとも直接に表現したものである。カナシということば一つとってみても、ことばは失いたくない。琉球語の玉つぶとしてとっておきたい。ただ「かなし」を悲哀の面だけに展開させていった本土と比べて、沖縄はかなしを太陽やお月様や天子、天に祈るときの「あな尊」にあートーとゥガナーシ―と最上の尊敬、感動にもこの語を発展せしめていった。古典語がかくも生き生きと生きている例はない。夜空に流星が飛び、老人たちはその流星の光を仰ぎつつトーとゥガナーシ―と天に仰いで手を合わせる。また、うす茶を一杯すする百姓のおばあさんでも、まず茶碗を額のところまで持ちあげてトーとゥガナーシ―という、そのまなざしは善良と敬虔の念にみちている。このことばが南の島の精神生活とどれほど深い関係があるか分らない。島は貧しく、わびしかったにちがいない。しかしわびしく、悲しければ悲しいほど、人間と人間の関係を一層「かなしき」ものへと結びつけていったのではなかろうか。この島人の人なつっこさを私はしみじみと感じる。天然資源にも恵まれていないわびしい島人たちは人情ゆたかである。そのこまやかな人情を表現することばが「かなし」である。人情のこまやかさの点において、他に比して深いとすれば、その深さを表現しえたことばは、かなしさであったのである。しかしそれはけばけばしい看板のような「愛する」ということばではなく、むしろ静かな庵の門にかかっている古木にほりきざんだゆかしい門札のような気がする。

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