琉球語の美しさ
タービサー<爪先立ち>
爪先を立てて歩くことをタービサーという。現在では、学校の運動場で、体操の時間にしかこの動作はしないのだが、これが一つの単語として複合していることから見れば、過去の生活にはもっと、爪先を立てて歩くことが生活の中にもあったのではあるまいか。下駄もはかなかった時代、池で足をあらい、足裏に土をつけまいと、大人も子供もナー<庭>をタービサーであるいているかっこうは毎日のように見受けた。ところが今では、大掃除の時とか、棚おろしの時とか、高いところにとどこうとせのびする時にしかそんなかっこうはしない。こそどろの社会ではまだこのタービサー<高足>の概念はいきいきと生活の中にあるのかもしれない。あるいは恐懼して、音を立てないために歩くためにも必要だったし、貴人のそばを通る時にも爪先を立てて歩くことが必要だったかもしれない。舞踊などではこの爪先をよほど注意してつかうようであるが、琉舞などではいったいどういうようになっているのだろうか。はきものを用いるようになると、この動作はすっかりおとろえたにちがいないので、やはりタービサーというのははだしと深いつながりを持っていることばにちがいないし、人間の足の爪が、古代においてはかなり役立ったにちがいなかろうが、もう足の爪などというものはてんで役に立たないし、無精者はいつもその始末に困っているのである。西洋人など爪先を染めてよろこんでいるようだが、京都大学の田中元図書館長がハワイに来られて一大発見をされた。それはワイキキの海岸で海水浴をしたり街路を跣足で歩いている女性の足の爪は米国本土に比べると染めたものが極めて少ないということであった。