琉球語の美しさ

バン<番>

バン<番>ということばは古いひびきがある。今では監視ということばしかつかわないが、昔は「番」をつかったのである。昔は警察の手ものびなかったのであろうから、いろいろな番があった。畑の作物でも番をしなければ盗まれてしまう。水の少ない地方では、苗代の頃には水の番もしなければならないし、私など、蜜柑が熟れ、八月の村芝居の頃は、よく蜜柑番をさせられた。芝居もひけて静まりかえってしまった頃、十五夜の月の光に照らされている蜜柑をじっと見つめながら、夜おそくまで蜜柑の番をした。遊びつかれた男女が夜中にしのびこんで、夕飯を盗むの(ユフイヌシードゥ)はどこの農村にもあった。時には、その家の下男や下女が自分の家の夕飯を盗んで親しい友達と一緒に食べることもあった。罪のないぬすみで、モーあシビー<野遊び>の帰りなどによくやったものである。蜜柑の木の風通しのよいところにつるしてある煮芋の入っているざるなどは、一番ねらいやすいものであった。あヂマー<十字路>に、芋皮などがざると一緒に散乱し、食いあらしたあとが、朝よく見受けられた。盗まれた翌朝は空腹をかかえて仕事に出なければならなかった。こういう調子だから、ヤーヂマーブイ<屋守>ががらんとした家に鳴きしきるのをききながらヤーバン<留守番>はするし、十五夜の月光のもとで蜜柑番やユフイヌシードゥの番をさせられたのだから、バンということばの中には、現在の若い者の感じない語感を我々は持っている。
この字をみつめていると異様に古い時代のくらいかげがちらつく。この漢語は後世入ってきたであろうし、何か薩摩の琉球入後のにおいがする。
ヤーバン<家の留守番>、タムーヌバン<薪の番。薪がとられないよう注意する。>
大きな提灯についた番の字が浮ぶであろう。

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