琉球語の美しさ

プイ<まみれること>

今では、もうプイということばも、消えつつある。闘牛のさかんだったころクてィー<牡牛>のスルーヂナ<棕梠縄>のパナーヂナー<鼻綱>にひきずられながら、飼主が闘牛の後ろからついて、闘牛場に出る。闘牛はタきー<牡牛の鳴き声>を出してうなりながら、前脚でほこりをかきあげて巨体のししむらにかぶる。それをプイ スン<ほり する>というのである。
また雌鶏がぽかぽか日の照る春日、庭の地べたに翼をひろげて坐りながら、ほこりを脚ではねて身にかぶる。それもプイ スンというのである。
おそらくプイという語は、もともとはかなり広く使われたことばにちがいない。牡牛や雌鶏のそうした動作を、標準語では、どういうかわからない。闘牛も飼わなくなり、鶏ももう養鶏場の狭苦しい箱の中におしこめられた今では、もうそんなことばなど不要になっているのかもしれない。
子供の頃、地べたではい廻った経験のある私たちには、なつかしいことばである。土まみれになることを、ミちャーブイという、泥まみれになることを、ドゥルブイというし、日光はティダーブイである。てりつける太陽を身にあびることである。闘牛や鶏、土、泥、日光が、このプイということばでいきいきと浮かんでくるし、土に親しんだ幼年の思い出があざやかに浮かぶ。
このことばには土のにおいがしみている。
▶原稿に(一九八一・一・一〇)の記述あり

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