琉球語の美しさ
サンバンドゥイ<三番鶏>
大正の初年まで、時計のある家はほとんどなかった。暁をつげるのは鶏であり、どの家でも飼っていた。部落の中で、一番最初にときをつげる鶏は、ほぼきまっていて、それを一番鶏というていた。しばらくして、そのつぎにどこかで二番鶏が歌う。空は明けそめようとしているのに、まだくらい。やがて、三番鶏が歌い出す。それからはまもなくあちらこちらで、多くの鶏がときをつげて、次第に夜があける。
昭和四年の夏だった。頑健であった祖父が、がけからころげおちて床につき、次第に老衰もくわわって弱って行った。くらいクちャー<裏座敷>で、弟勇助と二人で、夜を徹して看病していた。毎夜のように、一番鶏を聞き二番鶏を聞き、三番鶏ときいて夜のあけるのを待ったのである。深い夜中に鶏の声を聞いているともの悲しい。
いくにちもいくにちもまどろみながら、祖父を看病した。一番鶏の鳴く頃は、もうふくろうも眠ってしまっている。祖父の容体は次第に悪化して行った。一番鶏がまた鳴き出す。二番鶏がやがて鳴く。祖父の息はたえだえになって、三番鶏が鳴いたときは、とうとう息をひきとってしまった。
三番鶏ということばに、今も祖父のたえだえとした息がかかっている。
方言辞典を編纂して「サンバンドゥイ〔saɴbaɴdui〕〔名〕暁に三番目に歌う鶏」と訳をつけておいたが、それでは一般には意味がわからないから、もっと詳しく説明してほしいという注文であった。ことばは社会的なものでありながら、個人の体験にふかぶかと根のさしているものであり、それで言語はいきいきと生命をもっている。一人一人の人間をはなれては、ことばは生命を持つことは出来ない。遠く人間をはなれて星のように存在しているのではない。三番鶏は私の体験に深く根ざしていきいきとしている。方言は私を離れて存在していない。