琉球語の美しさ
グヮー〈小さい意をあらわす接尾辞〉
指示辞で、東北地方のコにあたる。童名などにもよく用い、かわいい意をあらわす。
マちグヮー、ちルグヮーというと、マちとかちルとかという童名の者に対していかにもかわいい親しみの愛情を添える。マちやちルが年頃の乙女だと、紺地に細腰をしめているいとしさがにじみ出ることばである。
そんなかわいさ、いとしさをあらわすグヮーがときには軽蔑の意もあらわす。つまらない先生にシンシーグヮーという。
戦争中、夕方になるときまって砲弾もやみ爆撃機もひきあげて、しんとなる一時があった。野や畑に壕からはい出した無数の人間がまるで蟻のように食糧をあさった。その時にかぎって、超低空でまるで、竹とんぼを飛ばすような音をたてながら、敵の偵察機が飛んだ。それをトンボと称していた。ところが民間人はトンボグヮーといっていた。まるで戦争の恐怖もどこかにおき忘れて、石でも投げてうちおとせるようなひびきをグヮーがあらわしている。
あの偵察機をトンボグヮーととらえるところに、何かしらの沖縄人らしさがあるように感じられる。国語にこんな重宝な表現は見当たらない。
中山良彦氏の『人間でなくなる日』のあの陰惨な頁々を読みつづけていると、トンボグヮーが出て、やっと息をついた。