琉球語の美しさ
部(ビー)
『沖縄語辞典』に「-bi(接尾)〔部〕…の階層の者。…の階層の人たち。また敬称ともなる。様。ʔazibi〔按司部〕、ʔweekatabi〔親方部〕、ʔuminaibi〔思姉部〕など。」とある。
今帰仁方言ではその外にうヤービー<親たち>、くヮ―ビー<子供たち>、ドゥシビー<友達>、ソーデービー<きょうだいたち>のように普通名詞につくばかりでなく、ひろく動詞について「…する役目」をあらわす用法がある。トゥイビー<取る役目>、ナギビー<投げる役目>、シービー<やる役目>、モイビー<舞う役目>これらは上代においてはもっと自由であったであろうと想像される。物部、綾部等ひろく用いられている。
『万葉集』三三九二の守(モリ)部(ベ)は守る役目の意で、原義がよくあらわれている。現在生活の中にいきていて面白いことばである。これなどは造語法として国語の中に保存してよい。投手や捕手というむずかしいことばをつかわなくても、「なげべ」「とりべ」とつかえばもっと日本的なことばが出来たはずである。歌手ということをいわなくても、「うたいべ」といっていいのである。「べ」がほろびたので、「手」が出てこれにかわることになったようだ。「手」をひっこめて「べ」をだして見たら面白い。ここで話手、聞手と言わなくて「ハナシべー」、「キキべー」と言って沖縄語ではすぐ造語が出来るのである。「君は作る方をしなさい私は食う方をしよう」などという場合、国語では大変不自由ではないだろうか。ところが琉球語では非常に便利で、「ィヤーヤ― チくイビー ワンヤ カミビー」とすぐビを使って適切に表現出来る。どうしてこうした造形語までも、方言なるが故にいやしいとしなければならないのだろうか。
万葉時代には守部といってももう(注)番人になって部はかなり狭く限定されたのであろうか。もしこの自由な接尾があったとするならば、解釈の仕方もかわって来なければならない。山守部といったからといって、その役目をちゃんと持ったという感じよりも、ぼんやりした固定しない概念として把握されるべきではなかろうか。
(注)〝番〟は編集部の判断で挿入しました。