琉球語の美しさ
カナーグリー〈かんなくず〉
杉の柱を斜めにした台にのせて、達練の大工が鉢巻をきりりとしめて、利ぎすまされた鉋で柱をけずる。はるか前方に身をそらせて、柱に鉋をかけたかと思うと、一気に鉋をはるか下の方へとすべらせて行く。カナーグリーが鉋の中から、細い白い布のように、木の香をはなちながら、舞いくるい舞いくるい、大工の上をおうようにして飛ぶ。あの爽快な様子を、子供のとき、眼をみはりながら見ほれた。魔法でも見ているような気がしたのである。
『おもろさうし』一二の三六に、つぎのおもろがある。
一 きこゑあおりやへや、なかへ、やほう、あうらちへ、しらなみや、かなくり、おそ、やに、
又 とよむあおりやゑや
又 きみくらか、ふきはなか、したに
「しらなみや、かなくり、おそ、やに」は白波のおそいかかる状態をいかにもいきいきとうつしているようで、すばらしくすぐれた比喩である。
私もひょっとしたら、「なくり」ではなかろうかと、思った。池宮正治氏が、おもろを綿密に調査して「しらなみや が なぐり おそやに」〈白波がなくり 襲う様に〉であるとの異説をたてた。「かなぐり」はあまりすばらしい表現であることが、解釈の上では、難点になったのである。おもろ研究会では、池宮説にかたむいている。
「なぐい」は、与那嶺方言では荒波の意はない。与那嶺の浜をナガーパマーといっているが、その静かな浜にゆるやかに寄せて来る波をナグイといっている。しかし、それは、私個人の体験にもとづくナグイの意味ではなかろうかと思ったりする。幼少のときからたえず、このナガーパマーに遊び、浜べによせる波を見て来た。その波とナグイがかたく結びついている。部落の者は、多く私と経験を同じくしているであろうが、外の地に住む人々は、ナグイにいかなる表象を結びつけているのか、おそらくは、その差は無限であろう。
「しらなみや が なくり、おそやに」のなくりは大波と解される。「なくり」の意味のひろがりも、島々部落部落によって、いろいろのちがいがあるにちがいない。
渚によせてくずれ行く波が千変万化するように、人間の心にひびく波は、無限の変異を生じながらつたわるのである。