琉球語の美しさ
ムサー〈余波〉
古宇利島へ民主主義協会主催の講演に行ったことがあった。出来るだけ僻地の知識にうえている人々のために講演会を開いて、啓蒙して行こうというのが、ねらいであった。字事務所に島の多くの人々があつまって、新垣新保講師の南米の視察に耳をかたむけていた。始まるのも、島のならわしでかなりおくれて、終わったのは、十二時も過ぎた頃であろうか。私はその席で古老からヒガうミヌ ナリバ ハヂ プチュン〈東の海が鳴ると台風がやってくる〉という話を聞いた。ヒガ〈東〉ということばは、大宜味のあたりでは、東村のことをいい、さかんに用いられているが、古宇利にもまだ残っていることを知り、興味深かった。「坐る」ことをビーンと言っていた。これも、ずっと奄美大島から国頭村、大宜味村、羽地村とつづいて、古宇利島にまで達している。
形容詞の語尾はタカヘン〔takaheN〈高い〉〕のように、-heNである。これは、sa+ʔajuN>sajuN>saiN>heNと変化したので、他の地方にはない。今帰仁村から本部町にかけてはseNである。
島の方言にも、興味をひかれながら、島民に別れをつげた。
淡い月があがっていたが、区長さんが、わざわざ提灯をつけて、波止場の方まで送って下さった。運天港と島との間を往復する小さい連絡船がつながれていた。
区長さんが、提灯をかかげながら、足許に注意をさせて、船へと渡して下さった。そのとき。「ムサーがまだあるから注意するように」と言われた。台風が過ぎ去ってまもない頃だった。ムサーとは、台風が去って後のうねりであり、余波である。淡い月影に照らされている海面には、たしかに、ときどき大きなうねりが見えた。島の人々の生活には、まだムサーはかたく結びついている。もう、ムとゥヂ〈古宇利島から今帰仁のことをいう〉ではムサーということばは、耳遠くなった。ききだしてやっと老人の口からひき出せるくらいに、消滅寸前に来ている。
池宮城秀意氏から渡久地でもムサはまだ使っており、ムサゲーユン〈騒ぎ立てる〉のムサは、台風後のうねりだという話を聞かされた。ムサゲーユンという動詞は、今でも沖縄本島では広く用いられているにちがいないが、もうムサーを知っているのは、少なくなっているにちがいない。
嶋袋全幸氏や福地唯方氏に那覇にもありますかと尋ねたが、ムサゲーユンはあるが、ムサは知らないということであった。
四方海にとりまかれている沖縄でムサーは、生活とは極めて密接に結びついたことばであったにちがいないが、まるで潮騒がだんだん遠く消え去っていくように、この語も次第に忘れ去られようとしている。