琉球語の美しさ
ハーグミ〈赤米〉
大正の初年まで白米にまじって残っていた。まっしろい御飯をいただいていると、赤い米粒が点々とまじっていた。おそらくは多くの稲の中に、赤い色の米の出来る稲がまだ残っていたであろう。それが次第にすくなくなって、御飯の中に点々と残っていたにちがいない。稲が改良されて、赤い米を全く見ない今、点々と御飯にまじっていたあの赤色の米つぶは、玉のようにかがやいて浮ぶ。島袋源七先輩が、戦後久米島に民俗調査に行ったとき、この赤いお米でご飯をはいて、神を祀ったという古老の話をきき、これが本物の赤飯で、白米を赤でそめるのは、後世になってからのことだと、喜んで報告されている。その当時、赤米だけみのる稲が残っていたのか、それはたしかめなかった。
仲松弥秀氏が、種子島に残っている、赤米のもみを手に入れたと喜んで喜んでいた。かつて南島の祭祀にはすべて、この赤米を用いたにちがいない。
赤米は天然自然のものであった。ティダ〈太陽〉の色であり、もっとも神聖な色であったにちがいない。赤い色の魅力はとしとともにあせつつある。