琉球語の美しさ

ユガーラシ〈よがらす〉

夕方くらいの空をカーカー鳴いていた。ユガーラシが鳴くと必ず死人が出るか、不吉なことがおこるというので、その声にきき耳をたてて、どこの家に不幸がおこるかと、心配した。あの鳴き声ほど人々をめいらせるのはなかった。夕空に鳴いて消えて行くのが、まるでよみの国からやって来た悪魔の声に聞こえたのである。
『全国方言辞典』に「よがらす。五位?。越後・出雲・大分」とある。

日が暮れて、山の端もほとんど見えなくなる頃合い、くらがりをひきさくようなユガーラシの鳴き声が聞こえた。どこかに今晩死人があると人々は、心配そうに顔をみつめ合っていた。
昭和五十三年旧十一月に催されたイザイホーを見学に行った。洗髪をたらして白衣をまとうた神女たちが、七つ橋を行きかえりして、やがて蒲葵で壁をつくったアサギにはいり戸を締められた。これから先は神山にはいって行く。神女たちのエーファイ エーファイの声が次第に遠くきえて行き、神山は一層静寂をました。
あのエーファイ!エーファイ!エーファイ!と次第に消えて行く声がユガーラシの鳴き声そっくりだった。厳粛のきわみと悲しみの極みは同じところに行きつくのであろうか。あのエーファイ!エーファイ!エーファイ!は、人々によって無限のバラエティーをふくんで聞こえているにちがいない。人間は個性を通し、体験を通してしか聞くことが出来ない。各人はそれぞれの個性、体験を通さずして、何が聞こえるのだろうか。個人の中に、何を見る力があるのだろあるのだろうか。
補注: joːrasaa(八重山)

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