琉球語の美しさ
くンちリミちー<踏みわけて進む道>
都会に住んでいる者は、道は人間がちゃんとつくった道しか、道と心得ていない。広々とした広原を歩いていると、道がどこに通じているのか分からない。道はわずかに人間の足跡を辿る程度である。道らしい道もない広野を歩いていると、どこもかもが路であると同時に、どこにも道はない。どこでも近いところをつっきって通る。畑のあぜなどは、一番よい道になる。山のてっぺんにのぼったり、島の崎々を歩き廻っていると、次第に細り行く路を辿りつつ、つくづくと心細くなることがある。かつて伊良部町の下地島を歩いていて、いつしか路が畑のあぜになり、やがて阿旦の中に入り込んでしまった。そこをつきぬけると、海岸近くに小松が美しくはえていた。その下には前人の足跡が、白い砂浜へとつづいていた。近いところはどこでもつっきって行く。くンちリミちーとは、別に道があるわけではなく、畑でも林でも叢でも踏み越えて次の道へ出ることであって、まだ足跡もついていない道で、言わば、道はなくして動作だけあれば道である。くンちリミちーには人の足跡のついたところもあるが、全く前人未踏のところだって、横切って近道さえすれば、それをくンちリミちーという。社会が進歩し、社会習慣が固定してしまうと、そこには多くの人々の足跡がついてしまう。
くンちリミちーは次第になくなるが、明敏に判断をする者にとってはくンちリミちーがたのしかろう。もうくンちリミちーなどということばも次第に、野の細道が草に蔽われて見えなくなったように、消滅しつつある。都会人には思いもつかぬなつかしいことばである。