琉球語の美しさ

まーリン〈生まれる〉

生まれるの意。ところが生まれるは、人間や動物などが生まれる意のほかに、サーたー まーリン〈砂糖がうまれる、よく出来る〉サきー まーリン〈酒がうまれる。よく出来る〉などと生きもの以外にも用いられる。「生まれる」はたらきは、他から援助を与えることは出来ても本性の発動があって、他からその働きまでたちいることが出来ない。
まーラスン〈生まれさせる〉とシこールン〈作る〉との間には非常なへだたりがある。有名な陶工新垣栄太郎氏は、壺屋の陶器は作るのではなく、ウマスン〈生らす(生まれさせる)〉のであると、随筆に書いていた。手先で土をこねて作るのではなく、ただ一心に心をこめて、自然に生まれさせるのだと、その秘法を説いている。それは先祖代々からの伝授でもある。民芸品のよさは、「うまらした」ところにある。作ろうとして作ったものではなくして、おのずと生まれたものである。名器はかくして生まれるのである。
『おもろさうし』三の五にこんなのがある。
てるかはか てるしのが てりよるやに おきむ うまれわちゑ
なさいきよもい あちおそい あまこ、よりかわちへ、まなしやど たちよる
「おきむ うまれわちゑ」とある。おきもは御肝で御心である。御心は清水がわくように、自然に立派にきよまりすぐれる意である。うまれるであるからこころの本来あるべき性質が発言してりっぱになることである。「お日さまがてりかがやくように、み心が本然のあるべき相で発現し給いて」という意になる。
何というすばらしいことばであろうか。上代人のごく自然につかっていたことばの中にはかりしれない深さが感じられる。「おきもうまれわちゑ」ということばがうしなわれるとともに、われわれは「心のうまれる」ことも忘れ去ってしまったのではなかろうか。
おもろに深い思想があると、比嘉実君が言ってた。私もそう思うことがしばしばある。「おきもうまれわちゑ」は、偉大な思想である。おもろになにかしらひどく心をひかれるが、そうした上代人の心にひかれているのかもしれない。

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