琉球語の美しさ
ちムドゥーシ〈肝通し〉
伊波普猷先生は、ふだんは、じっくりいといと考えておられて、いざ原稿を書くだんになると、一気呵成に書きあげられた。いつもその原稿は、奥さんに読んでもらったようである。奥さんが、誤字、脱字を指摘されると、「イー ウレー チムドゥーシ サットーサ」〈はい それは 肝通し されているよ〉よ、おっしゃったという。
チムドゥーシとは、〈肝通し〉で、おおまかなすじは、一貫して通しているという意味である。与那嶺の方言にははいが、那覇では、今もよくつかっていると、国吉真哲さんが話しておられた。
伊波先生の原稿を読んでいると、たしかにそういうところがある。直観力の鋭かった先生は、あまりこまかいことはとらわれずに、一気呵成に書きなぐっておられる。東恩納寛惇先生のような厳密、厳正さはない。東恩納先生は、いつも日本刀を床の間にかざっていて、その前に端坐しておられた。古武士の風格があった。その文章もそんなおもむきがある。
伊波先生のは、両足さきをにぎってそりかえりつつ、髪をかきなでかきなで、呵々大笑しつつ興にのられたおもむきがある。つぎつぎと想いがほとばしり出て、書きなぐったおもむきがある。詩人的な天分を持っていたといわれるのもそのせいであろう。