琉球語の美しさ

シ ミ、サ イ〈しるし〉

国頭村の与那の白浜に小川が流れそそいでいる。その川べりにそうて、田圃をすぎ、山路をのぼって行くと、琉球大学の与那演習林宿舎がある。
方言クラブの学生をつれて、方言採集のために、そこに宿舎に行ったことがあった。やがて、山路の坂にかかろうとする、左側の小さい山田に、苗代があった。その日はとくに晴れわたり、さわやかだった。微風にゆれている青々とした苗は美しかった。真中に枝のついた一本の竹がたててあり、とんぼがとまっていた。見とれて、そばに草を刈りている百姓さんに、その竹を方言で何というかと尋ねると、「シミ」と答えた。
『万葉集』の額田大王のあの歌がすぐ頭にうかんだ。
あかねさす紫野ゆきしめ野ゆき野守は見ずや君が袖ふる
あの「しめ野」のしめである。その「しめ」は占有をしめすために、縄を張ったり、杙をうったりしてしるしをすることである。国頭の山路を歩いていると、切り出した薪の上に、「シミ」をさしてある。それは占有の意味もある。しかし、今、苗代の中にとんぼがとまっている竹枝は、占有の意味をもっているとは思えない。鳥が飛んで来てあらしたり、害虫がおかしたりするための魔よけで、山の悪霊から苗代を守っているのである。そのほそぼそとたっている竹枝に、まだ上代人の信仰が深くこもっているのである。
私の郷里、今帰仁では、豆腐が出来上がって、箱からぬきとって、湯気のたちのぼっている上に、藁を十字に結んでさす。それをサイといっている。畑仕事をしている者のためにこしらえて持って行くムちバンメー〈持ち運んで行く飯米、食事〉の上にもサイをさして行く。耕作した畑の中に、積んだ作物の上にも、サイをさしている。

© 2017 - 2024 シマジマのしまくとぅば
〒903-0213 沖縄県中頭郡西原町字千原1