琉球語の美しさ
タムーヌプルヤー〈薪を拾う者〉
子供の仕事に薪拾いがあった。薪を拾い歩く者をタムーヌプルヤーという。
台風が過ぎ去ったあと、吹きさかれた枝が地上に落ち、その上にも、青葉がつみかさなっていた。枯枝も、さかれた青枝もかさなり合っていた。これらの枝を懸命になって拾い集めた。ふだんは、部落内の大木の下にも、小枝一本も落ちてはいなかった。ごくときたま、小枝がぽきんと折れて、青い空から足もとに落ちることがあった。まるでしあわせが天から降って来たように喜んだ。薪を拾いあつめることは、なまやさしいことではなかった。それだけに、台風のあと、枯枝、青枝のうずたかくちらかっているのを、運んで行くたのしさは、格別だった。とくに、神ハサーギの老松の大きな枯枝を人先にみつけて運ぶのはたのしかった。いつも老松を仰いでいて、あの枯枝がとれたらなと、頭のだるくなるまで仰いでいたものである。
プルールン〈拾う〉といえば、薪を拾うだけではなかった。ティンガマー〈小さなかご〉をこしにさげた老婆が、芋をほりとった畑をまわり歩いて、堀り忘れたり、うずもれたりした小芋をさがしあるいていた。うムプルヤーである。稲や麦、栗をとり入れたあとからも、落穂拾いが歩いた。稲を刈りいれたあとなどは、蟹やえびをとりながらよく拾いあるいた。稲の刈株に、フミルー〈くいな〉がいて、急に飛び立ったりする。ときには、そのひなにめぐりあってつかまえる。拾って来た落穂は、自分のものとして、家のものとはわけて垂れさげた。
学校の運動場でも、毎日塵を拾わされた。拾うという生活がわれわれにはあった。そのたのしみもあった。