琉球語の美しさ
パナリ〈離島〉
南島の海には、無数の島々が浮んでいる。八重山の地図をひらいて見ていると、パナリと名のついた地名がたくさん見つかる。かつて台風にとじこめられて、西表の租納にいたとき、老人の口からいくたびも、荒波に吹きまくられてるらしいオアナリということばを耳にしてわびしかった。
かつて鳩間島を訪ね、鳩間中杜に登った。台風が接近しつつあり、蒲葵の葉は乱れに乱れてさやいでいた。空はあやしい雲におおわれて、夕日がその間合から気味わるく射していた。朝、漁猟に出かけて行った舟を気遣って、その家族たちが、渚に立ちつくしているのが見えた。鳩間節に歌われている鳩間と西表との間の海は、台風のうねりがもう高くおしよせているのか、白波が立っていた。その海の中に、岩とも島ともつかぬ、黒々としたかたまりが、白波をかぶってよこたわっていた。そこには、人も住まず、鳩ばかりがいっぱいたかるのでパトゥバナリというと島人が教えてくれた。それからすると、鳩間島もむかしは、鳩がいっぱい群れ飛んでいたのであろう。島の名は、文字通りパトゥ〈鳩〉マ〈処〉であるにちがいない。
海上の交通のひどく不便だった時代、パナリには、流人だちが多く流された。勝連半島の先にある、平安座、浜比嘉、伊計、宮城をタかーパナーリ〈高離〉という。高離といえば、流人の流されたムヌシラーシドゥくール〈もの知らせどころ〉であった。わびしいひびきがこもる。
南島の海を渡り、波間に浮ぶ離れ島を眺めていると、パナリということばのもつわびしさがむねにせまる。パナリということばは、南島の人々の生活と深くむすびついたことばの一つである。