琉球語の美しさ

メームスビー〈前結び〉

小さい島々をまわって方言を調査していると、島の老人たちは、きまってこの島のことばはいちばんわるいという。中央のことばとちがえばちがうほどわるいと考えている。
島の老人だけではない。戦後、教研集会の国語部会で、不正語表というのを出していた。標準語とちがったことばを不正語といっているのである。ことばのよいわるいは、道徳でいう善悪とはちがう。社会習慣のちがいにすぎない。
私たちが小学校の頃、学校できびしく取り締まられたことが二つあった。一つは方言、もう一つは、女生徒の帯のメームスビー〈前結び〉であった。この二つの取り締まり事項があったため、たのしい休み時間の運動場はひどくゆううつであった。方言札を渡そうと、誰かが、どこかで自分をねらっていた。
メームスビーの取締りは男の子にはかかわりはなかったが、われわれの先祖たちは、すべて帯は前に結んでいたのであった。ところが、学校教育がはじまって、帯の前結びは、沖縄風だといやしめられて、大和風に後に結ばなければならなかった。しかし大和風に、後に結ぶのは、なんとなくてれくさくてなじめなかった。先生の眼のとどかない学校のそとでは、女の子は、誰でも帯を前に結んだのである。女の子は、勉強道具は器用に頭に乗せて学校に通った。校門にはいるとき、先生の監視をおそれて、前結びを後に結びかえたが、なかなかなじめず、忘れたりもして、前に結んだまま門にはいっている者もあった。先生にみつかると、いちいちとがめられて、後にまわした。
学校がひけて、校門を出るときは、いっせいにまた、メームスビーにして帰った。ほっとして解放されたように、方言をつかいながら帰った。
帯を前に結ぶか後に結ぶかによしあしはない。前に結びたらす方がむしろ美しく、便利である。男と女のちがいもあって、女らしくさえある。それをわざわざ、先生のお嬢さんみたように、大和風に後に結ばなければならないことはないだろうと、少女たちは小さな抵抗をしていた。
前結びを学校では、きびしく矯正した。守らない者は不良少女のようにさえ見た。校門を出るとき、後から前に結びかえてはればれとして頭に教科書をのせて、方言で自由にしゃべりながら帰って行く。あの後姿がまだ眼に浮ぶ。
浜千鳥や天河を踊っている舞姫の前結びの美しい姿を見ていると、小さい抵抗をしながら前結びをしていた少女たちの姿を思い浮べる。

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