琉球語の美しさ
うーくルスー〈大黒潮〉
琉球の近海を黒潮が流れている。島のぐるりには、大方、干瀬があり、黒潮はこの干瀬に砕けて白波になる。琉球の人々は、干瀬に砕ける白波を乙女らの笑いこぼれる白歯の口もとにたとえた。
謝敷板干瀬にうちゃいひく波や 謝敷女童の目笑歯ぐき
干瀬の外側を、今帰仁ではパーという。「ホカ」の変化である。内側の海をいノーという。干瀬の裂け目から、パーの潮が、いノーへ流れこむところをちグーちという。昔はこのちグーちから、唐船もはいり、北山城の城もとまでも、漕いで行った。われわれの子供の時分まで山原船が自由に出入りして、静かにいノーに帆影をうつしていた。
強い光がさして、海の底までもとどくと、潮の深浅によって、潮の色は多彩を極める。真白い砂べから沖へと深まるにつれて、その濃淡の色合は、神秘にかがやく。
宮古と八重山の間に、多良間、水納という島が浮んでいる。からっと晴れた空を飛ぶ飛行機の窓から見おろすと、夢幻境にさそわれるように、潮の濃淡は美しい。あの一番色の青黒いところが、うーくルスーなのである。
あのうーくルスーの中に、無限の色彩がひそんでいる。空の光りの万化が、そのいろをかがやかせる。年がら年中、一瞬も止むことなく色をかえている。あさみどりから青、紺青、青黒と変化しつづけている美しさは、この世のものとは思えぬ。あらゆる神秘を蔵してかがやきつづけている。
干瀬に立って、白波の立つむこうのうーくルスーをみつめていると、無限の過去がうずまいているような気がする。古代から、幾万の人類をのみ、黒潮の底に、あらゆる遺物が沈殿堆積している。うーくルスーは、琉球人のあらゆる過去の体験のるつぼであり、そこから無限の光彩を放っている。限りない過去と、限りない未来がそこにある。うーくルスーはそんないろをたたえているるつぼである。
首里方言にはクルシュオーシュという語がある。大海原。黒潮青潮の意である。