琉球語の美しさ

くヱー(入力者注※ヱは小書き)〈声〉

声はまことに不思議な力を持っている。人類が言語を発するために、神から声を与えられたのか、にわかには断定しがたい。もし声が、必然的に言語に発展するものであり、すでに声そのものに言語が含まれているとするならば、蛙はやがて蛙のことばを発達させるであろう。人間は、媒材としてすでにある声をうまくいかして、ことばを発展させているのかもしれない。神のふかい摂理はわれわれにはよくわからない。
歯はものを噛むためにあり、舌はものをなめるためにあり、鼻はもののにおいをかぐためにあるはずである。しかるに肺臓から吐き出されるよごれた息をこれら器官の本来の任務の合間をうまく利用して、調節してこえを発してことばにする。暇の活用でこれほど妙をえているのはない。
いかに聖人君子のことばでも、また楽聖の美しい声でも、肺臓で、汚染された廃物の息のはたらきにすぎない。しかるに何という霊妙不可思議か。美しい声には、微塵のよごれもないのである。
声の方言もいろいろある。フイ スン〈声する〉は、久しぶりに立寄って消息をうかがい、またつたえることである。フイ ヒちュン〈声を聞く〉も、消息を尋ねることである。ソーガちヌ フイ ヒちュン〈正月の声を聞く〉とは、正月のことをそろそろはなしに聞くことである。
私たちが子供のころ、人が死ぬと、肉親はもちろん、親類縁者、近隣のものが、かけつけ寄り集まって、声をあげて泣いた。むかしは、職業的な泣き女がいて、米一升を与えれば一升分泣き、二升与えれば二升分泣いたとも伝えられるが、沖縄に泣き女がいたかどうかはわからない。
私たちが子供の頃まで、死者があると、門ごとに灰をまき、箒や竿、棒をよこたえて、死霊をよけた。
死人の家からは、遠くまで泣く声が聞こえた。それで、死者が出たことは、部落中にしれわたった。鶏の鳴く声までがなにか悲しんでいるように聞こえた。その声をくヱー(入力者注※ヱは小書き)という。
古くからつたわった悲しみが、部落全体をつつんでしまう。あたりの山川草木までが泣いているようであった。
今ではくヱー(入力者注※ヱは小書き)ということばまでも忘れさられようとしている。天底で九十七才になるおばあさんにも尋ねたが、東方面〈今帰仁村の字湧川から字越地までの地域をいう〉ではつかわれていないようで、もう消えていた。
叔母がなくなったとき、叔父は、友の肩によりかかって道々泣きさけんでいた。先を白紙で結んだこうもり傘をさして、その下に白位牌をもち、泣きながら、葬列がずっとつづいていた。私が五つのときの記憶にも、泣き悲しんで行く葬列の記憶がはっきり残っている。
母の兄、元次郎伯父がタンヤンメー〈肺病〉でなくなったときのことであった。棺をおさめて運ぶガンドーグ〈龕道具〉が、くブー(屋号)のヂョー〈門〉を出ようとするとき、女たちがたがいにもたれあいながら泣きさけんで行く。その中に母の姿を見つけた。数少ない幼少の記憶の中で、いまもはっきり思い浮かぶ記憶の一つである。大昔からつたわって来たならわしえあった。
コエはフイと変化している。しかし死人が出たときに泣きさけぶコエはどうして、くヱー(入力者注※ヱは小書き)になるのだろうかと、以前から疑問に思っている。こえ〈肥〉もくヱー(入力者注※ヱは小書き)になっており、座間味村字座間味、阿嘉では、声をくヱー(入力者注※ヱは小書き)といっているところから、くヱー(入力者注※ヱは小書き)もコエの変化にちがいないと思うけれども、本部町瀬底ではくヮイというと、内間直仁君が報告してくれた。コエが一方でフイになり、一方でくヱー(入力者注※ヱは小書き)になり、意味が分化していったのか、まだはっきり説けない疑問も残るが、死人が出たときの泣きさけびはコエのような気がする。

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