琉球語の美しさ

ヘイサリ・ヘイサイ

「サリ」は「しられ」で、申し上げるの意をもつ。
部落内では、みんなが一家族のように気やすく親しい。道であってあいさつをかわす必要もなく、眼と眼を見合せばよい。「オハヨウゴザイマス」とか「コンニチハ」「コンバンハ」とかいう必要もない。そんな挨拶はよそゆきのことばでさえある。いっさい眼と動作であいさつをかわしている。無愛想といえば無愛想だが、心の底では、ことばにならない親しみがいつもみちみちている。こういう環境で、ヘイサリというあいさつだけはかわされる。よその家を訪ねて、家の人がおれば、その必要もなく、お辞儀もせず、ただ顔と顔を合わせるだけである。用件があれば用件をはなして帰る。ヘイサリは森閑として人気もなく、天井に屋守の鳴いているときに必要のようである。相手がいることよりもむしろいないときのあいさつのように感じられる。「ゴメンクダサイ」とは、かなりちがうのではあるまいか。「ゴメンクダサイ」はそこに相手のいることを予想するが、ヘイサリは、相手が眼の前にいるときは、あまりつかわれない。もしおれば、ことばもかけずに向かって行くのである。ヘイサリには、森閑と静まりかえっているのがかえって必要なのである。あやしみながらその反応を待つという風である。夜、くらい道を通っていて人に出逢えば、かならずヘイサリとあいさつをする。どこの誰それだとわかれば、そのまま通り過ぎる。ヘイサリのことばのむこうには、いつも森閑とした闇があり、ときにはいぶかしい眼がそこにするどく光ってさえいる。夜まわりの拍子木のようなひびきがつきまとう。

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