琉球語の美しさ
すみれ
宮古・八重山の島々から、沖縄のあちらこちら、方言を調査して廻ったことがあった野路のどこにでもすみれは生えていて、かわいい花を咲かせていた。ところが、その名を会う人ごとに尋ねて歩いたが、ほとんど答えてくれなかった。わずかに、伊江島で、トゥイヌコーコバナだと教えてくれ、中城「はなの伊舎堂」で、ヤマトゥンチュバナと、教えてくれた。もっと尋ねまわればあるいはいろいろの名を教えてくれるかもしれないが、今のところただ二つしか聞き出すことは出来ない。
芭蕉は、「山路来てなにやらゆかしすみれくさ」と詠んで、路ばたのすみれにこころひかれた。疲れきって休んでいる百姓の鍬のそばにもすみれは咲いている。どうして沖縄人は、こんな花に名さえつけてやらずに、無縁にすぎてしまっているのであろうか。
明治になって、小学校の教科書を読むようになって、はじめて、すみれの名を口いするようになったのである。小草とよばれる無数の草々はみんな名のつくことを望んでいるのだろうが。