琉球語の美しさ
ぴーソーガち〈火正月〉
島の生活は貧しかった。天災地変もたえずあり、饑饉の年は、文字通り餓死で、方言では、饑饉をガシーといった。くラーサランくラシー〈暮らすに暮らせぬ〉ということばもある。ぴーソーガち〈火正月〉ということばは、とくにあわれをそそる。
お正月には、どの家も豚をほふった。大方、一軒で一頭をほふって、平素どんなに貧しい生活をしていても、正月だけは、豚肉を飽きるほど食べた。しかし、山家に住む貧家では、一片の豚肉もなかった。ヂヌ〈地炉〉につるしてある鍋に入れるなにものもなかったのであった。ふんだんに拾える薪ばかりが、物置小屋にたかく積まれていた。親子が、寒い正月の夜、地炉に火だけはあかあかと燃やしてあたたまった。それをぴーソーガちといった。
私どもの子供の時分には、もうそんな貧家はなかったが、インヂャッくヮビー〈下男下女〉たちが地炉のそばに集まり、燃えさかる火に手をあたため、すすけたガフ〈自在鉤〉をゆり動かしながら、ぴーソーガちの話をしていた。貧窮のやるせない気持ちを持っていた、彼ら農奴たちの口から、地炉の灰に足をつっこんでいて聞いたことばだけに、いつまでも耳底にこびりついてはなれないことばである。