琉球語の美しさ

時雨(しぐれ)と夏(なつ)雨(ぐれ)

秋から冬にかけて降る雨を「しぐれ」という。芭蕉の句に、「時雨して猿はこみのほしげなり」というのがある。わびしさをさそう。
南島では、時雨の降ることを、シムー ハきルン(今帰仁与那嶺)という。一月から十月までは、昔の月の名を残していないのに、十一月、十二月は、シムヒちー〈霜月〉、シワーシー〈師走〉と、昔の名を残している。
霜月・師走の頃、蓑を着て、はだしで草刈に出た少年の頃を思い出す。野原のどこをさがしても枯草ばかりなのに、やっとわずかばかりの青草を見つけて、利鎌で刈りた。その上にシムーがかかって来た。青草から芥をぬいておーダー〈蕃〉にいれる。蕃のあらい目もしみじみとわびしさをさそった。はだしで、野に出て、まぐさを刈りる生活の中に、シムー ハきルンということばが、いきいきと生命を保っていた。
あかるく暖かい南国では、時雨をいうことばは、とうの昔に忘れられてしまったのか、ナチグリ〈夏ぐれ〉ということばが残っている。あるいは、この風土であらたに出来たのかもしれない。
まっさおおな南島のワカナチ〈若夏〉の空にむくむくと入道雲が湧いて、眼にしみるあかるさなのかげにかくれるいとまもない。あの雨をナチグリ〈夏ぐれ〉という。
じりじりと真夏の太陽が照りつけて、ものすごく蒸し暑い。お昼のふかした芋からは、湯気が立ちのぼる。頭の上は、一点の曇もない青空なのに、ずっと遠くの空を眺めると、龍((マ)巻(マ))がまきあがり、真暗だ。その一方だけに雨が降っている。あの雨を、ハたンギーという。片(かた)雨(ぐれ)の変化である。
かつて源為朝が、運天に上陸したときのおもろだと、伊波普猷先生によって説かれた、つぎのようなおもろがある。
一 せりかくの、のろの、
あけしの、のろの
あまくれ おちろへ
よるい ぬちらへ
又 うむてん、つけて
こなみと、つけて
又 かつおうたけ、さがる
あまくれ、おちろへ
よろい、ぬちらへ
又 やまとの、いくさ
やしろの、いくさ
このおもろの中に「天(あま)雨(ぐれ)」がある。
「ぐれ」という語は、本土では、わずかに時雨に化石のように残っているに過ぎない。沖縄は雨も多い。風土にかたく結びついて、天(あま)雨(ぐれ)、夏(なつ)雨(ぐれ)、雨(くれ)の手、片(かた)雨(ぐれ)などと多く残っている。

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