琉球語の美しさ
ちルー ちマールン〈体の筋がちぢむ〉
私は中学一年の時に母をなくした。観音堂の坂を電車がきしみながら首里へとあがって行った。その電車の窓から、あかあかと夕日が慶良間の島のかげに沈んで行くのをじっとみつめていた。凄みをおびた美しさであった。私はふと太陽の沈むのをじっと見つめると親の死に目にあえないというタブー(サガイティダ ンーヂュルムノー アラン〈落ちる太陽を見るものではない〉)を思い出して、つい気になって顔をそむけた。不思議なことにその翌日、学校の体操の時間に「ハハシスカエレ」の電報を受け取った。予感というものを信じるようになったのはあの時からである。少年の頃から一晩中眠れないということは一度もなかったが、あの晩だけは一睡も出来ず、蚊帳の上をぐるぐる飛んでいるほたるの青い光ばかりを見つめていた。母がなくなってしばらくしてから、母代わりに我々兄弟の面倒を見て下さった叔母から私はこんなことを聞かされた。
なくなる前日、母は叔母に「姉さん私の足は何だか今日はちルー ちマールンネー スン〈血管のすじがちぢまるように感じられる〉」ともらされた。どこが悪いということでもなかったのだが、その夜、私の母はなくなった。私は母の最後のことばを聞かなかった。私に言い残されたことばもなかった。ただ叔母に言われたちルー ちマールンネー スンという、次第に命のちぢまり行く体感をつたえたことばが最後の母のことばとして、間接に聞いただけである。ちルー ちマールンというごくありふれた日常語であるが、じりじりと命のちぢまり行く苦しみ悲しみが私の胸には今でもひびく。ちルー ちマールンということばの中に、誰も感じない深い悲しみを私だけは感じる。
このようにことばはどんな簡単なことばでも個人個人の体験によって、色濃く染められている。各人の体験がちがっている以上、色づけしている意識の底までも、相手に伝えることには限度のあることで、極めて浅い水面近くのものにとどまる。ことばの持つ宿命なのだ。孤独は人間につきものだ。