琉球語の美しさ
ニンブちャー〈念仏僧〉
沖縄方言で一番悲しみをさそい、哀れを催させるのは念仏ということばである。念仏は「乞食、癩病患者」の意味にまでなりさがっているからである。昔、七島灘の渡中の荒波をしのいで、京の念仏僧がこの島までたどりついた。彼等の念力は強く、その信仰は純粋であった。しかし島々を廻りあるいている間に年をとり世代がかわって、いつのまにか仏の力はなくなっていった。昔ながらの自然神の支配している島では、彼等の勢力をはる余地などはなかったのかもしれない。首里の虎頭もりの老松の美しい松林の後には念仏宗の行者たちがあつまって安仁屋部落という特殊部落をつくっていた。宗教(仏の進行)のかげは次第にうすれてチョンダラー〈京太郎〉の哀れな歌声のみがながく残った。沖縄の社会は坊主売、女郎売というほどに、坊主を軽視する社会であった。村々里々を鐘をたたきながら、物を乞い歩いている念仏僧は、まるで乞食同然であったにちがいない。いや乞食になり下がってしまったのである。
私どもの中学時代までは、那覇の町に入ると必ず、どこかでは悲しい鐘の音がきこえた。それは死人のある家で叩く鐘であり、赤い龕がそこには必ずあった。山原から出て来た我々には那覇の町がいつも不吉に感じられた。死人のある家の前によごれた小さい幕を張ってその中で鐘を叩いているみすぼらしい小男は、安仁屋村の出身であり。これが念仏僧のなれのはてであった。葬列の一番うしろから、よれよれの着物をつけて、びっこで足をひきずったニンブちャー〈念仏者〉を見た時、これほど歴史のかなしい影を感じさせられたことはなかった。